出来事がなければ空間はなく、プログラムがなければ建築はなく、建築の意味、その社会的な意義、形式面での創造性といったものはその建築の中で「起こった」出来事から分離することができないものなのである。Tschumi, Bernard, "The discource of Events",1983 老子を参照しながら空間を説明したときに、空間の存在のためには形有るものの存在が必要だと述べました。また数学や物理の空間を引き合いに出したとき、3次元あるいは4次元という話をしました。チュミの説明は、それよりさらに踏み込んでいます。 チュミは、空間が存在するためには「出来事」が必要だと述べています。つまり当然ながらチュミは数学的な意味で空間を見てはいません。出来事があるということは、物理的な観点からみたようにXYZ軸からなる3次元空間に時間軸を加えた4次元の時空間です。ただし時間があれば出来事が起きるわけではありません。そこに観察者がいて何かを認知したからこそ「出来事の発生」を知ることができるのです。チュミの述べる空間とは、このようにとても拡張されたものです。 どちらかというと物質の側から空間を捉えたギーディオン、ギーディオンの不備を人間側から客観的に説明しようとしたノルベルグ=シュルツを経て、チュミに至って、空間はやっと、真に人間の認知や感覚といったことを出発点として捉えられるようになったとも言えるでしょう。 また、ここでチュミが言う「出来事(event)」は、たとえばシーラカンスが言う「アクティビティ」とほぼ同義と捉えられるだろうし、別のページで説明するアフォーダンスにも近いものと捉えてよいでしょう。 |